呉媛の墓 4~6世紀に呉(中国)から渡来した、工女であった兄媛・弟媛・呉織・穴織の4人の婦女の事が「そのうちの一人は宗像大神に奉り、あとの三人は津国に至った」と「日本書紀」に残されています。当時の日本は、中国や朝鮮半島から優れた文化や技術の導入に力を注いでいました。 地元では、3人の工女はこの地で服織をしていたが、1人はこの地にとどまり、2人は畿内に行ったという民話が残っています。 地名の由来は、呉媛が住む地を「呉」と呼んでいたことだとされています。